感情は言語化するべきではないのかもしれない。

頭の中でこんな事を考えるようになりました。

今回はそんな事を書いていこうと思います。

 

今までの人生ずっと感情に目を向けてきた。

 

日々生活を送る中、自分自身の感情に向けてきた気がします。

 

同時にこんな事も考えます。

「なんでこんな気持ちになるんだろうか。」

「なんでやる気が出ないのだろうか。」

「なんでこんな苦しいんだろうか。」

 

とりわけネガティブな感情に対しては、その理由を考える癖があります。

 

一方嬉しかった時というのは、その理由を考えたりはしてこなかったような。

この傾向に気づいて「感情の理由は言語化しないほうがいいのかもしれない。」となんとなく考え始めたわけです。

 

考察:理由を考えるのは、受け止められないから。

 

理由を探すのは受け止めることが出来ないからなんではないでしょうか。

 

ポジティブな感情に対しては理由など考えず、受け止める。

そしてそれを味わうことに集中したり、次の原動力に変える。

 

しかしネガティブな感情はどうだろう?

なんでこんな気持ちになるんだろうと考えてしまう。

そしてそれを言語化して理由をつくりあげてしまう。

 

果たしてそれはプラスになるんでしょうか…

 

ポジティブな感情と同じように受け止め、味わい、それを原動力に変えるべきなのではないだろうか。

 

 

 

…理由を考えるというのは、どうにも回避行動を取っているように感じるようになったのです。

 

 

感情は完全に言語化出来ない。

 

感情というのは複雑で、言葉にするのは難しいです。

完璧に表現するのは無理でしょう。

それでも当てはめようとするのであれば、細部を犠牲にすることになるのだと思う。

 

 

…時には大きすぎる感情に理由を考える事はあると思います。

僕が感情に理由を考えたのは、たぶんネガティブな感情に対してだけではなかったはず。

 

それでも理由を考えるぐらいならば、表現する事に力を入れるべきなのかもしれません。

詩人のように。

 

 

 

気づいたこと

と…ここまで書いてみたら、だいぶ思考が整理されました。

もしかしたら大切な事に気づけたのかも。

 

いつも自己完結で終わってしまうわけだけど。

これからはネガティブなものでもなんでも、少しの勇気で受け止められるなら、噛み砕いて味わってやろう。

 

 

「感情は言語化しないほうがいいのかもしれない。」